書店でたまたま目にとまったので読んでみた。

真面目に頑張っているのに、なぜか報われない」と思っている人や、
不平不満ばかり言う人が、どういうプロセスで、そういう心理に向かうのかを、
生い立ちの影響から説明している。

けっこう分析的な記述が多く、原因を幼児期にまでさかのぼって深く掘り下げていくので、
タイトルのように心が休まるというより、読んでいて暗くなってくる感じはあった。
しかし、こうした問題の根は深いし、実際には心理カウンセラーのようなプロフェッショナルも、
痛くとも原因を突き止めなければ、気休めや対処療法では解決できない問題なのだろう。

客観的に分析するためのツールとして考えれば、けっこう参考になると思う。

参考になった記述は以下。
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甘えの欲求があると傷付きやすい
甘えたがるのは子だけではない。親も子に甘えたがり、感謝されないと不機嫌になる
心の底に憎しみが蓄積している
憎しみが限界を超えるとうつになる

愛情飢餓感がマイナス発想の原点
自分を認めてもらいたくて、無理をする
人に甘えを求める

マイナス発想で文句がつきない人に、提案は逆効果。
彼らは認められたい。同情と賞賛が欲しい。

しかしそれで状況は変わらない。

人の行為に執着するのが幼児的願望であることに気付くのが大事
幸せを認めたら愛を求められなくなる気がする
だから幸せをなかなか幸せを認められない
不幸にしがみついて周囲の人に責任をとってもらいたい

年寄りは脳が若くないので気力もなくなってくる

うつの3つの心理
1.自分から行動を起こせない 受動生 受け身の願望
2.消極的見通し  人になにかをやってほしい 苦しみを訴えるだけで解決を考えない
3.無力感  何をやっても楽しめない

生きることに疲れた人が臨むのは幼児のように愛されること。
努力しないで幸せになる方法を求めている。
分から這い上がろうとする意志はもうない。

■対処法
1.心の底にたまったうらみを吐き出せ
自分の失敗をありのままに話す
日記に書く
心の中をありのままに書く
憎たらしいことは、憎らしいと書く
うっ積した感情を吐き出す
疲れたときは幸運へのターニングポイントでもある

2.ノイローゼにならない人は、自分の城を心の中に持っている
会いたいひとにあう
他人ではなく、自分から自分を認めてあげる






 

中西寛, 石田淳, 田所昌幸(著) 『国際政治学』 

国際政治学会の中核となる先生方3名による新たな教科書。 この分野は『国際紛争』がしばらく独走状態だったが、有斐閣の本気を感じる一冊。 3名の専門とする研究分野について、全7章に凝縮して濃い記述が見られる。 ゲーム理論と国際政治経済への記述が濃いのは、同様の書籍と違って珍しい。


   

久保慶一・河野勝編『民主化と選挙の比較政治学』 
田中(坂部)有佳子「紛争後社会における反政府勢力の政治参加と暴力」 
紛争後、時間が経過すると民主主義が自己拘束的になって紛争リスク抑止に繋がるということを実証分析。停戦・和平後に民主化に乗り出す最初の段階が、まさに紛争リスクの高いクリティカルなポイントなのであって、そこをどう乗り切るかが知りたい。

   

 柳澤協二『検証 官邸のイラク戦争――元防衛官僚による批判と自省』 

小泉首相のイラク戦争についての官邸の動き方は意思決定プロセスでなく、意思「実行」プロセスであった。 官僚は最後の判断を小泉総理に委ねていた。アメリカを「支持」するとかなり前のめりの表現をしたのは小泉総理の政治的勘で、その過程で悩んでいたのかどうか、決して官邸の誰にも漏らすことはなかった。


   

下村 恭民, 大橋 英夫 (編)『中国の対外援助』 

OECD/DACの枠にとらわれず、国際的には「異質」と言える中国の援助政策に関して、現場の実状に即して、研究者および実務家による共同研究の成果。ODAの教科書としてロングセラーになっている『開発援助の経済学―共生の世界と日本のODA』の執筆陣である下村先生や旧JBIC出身の辻一人先生が執筆。また、東アジアの開発経験に強い関心をもつエチオピアのメレス首相の要請をうけて、ハイレベルの産業政策対話に参画しているGRIPSの大野泉先生や、JICA研究所のリサーチャーも執筆しており、この分野の関係者にとって、まことに有益な一冊となっている。

   

折田正樹(著)・服部龍二, 白鳥潤一郎(編)『外交証言録 湾岸戦争・普天間問題・イラク戦争』 

安保理常任理事国入りを目指していたときのヨーロッパの話があったので、ひとまず立ち読み。ヨーロッパがばらばらだったとあって、まぁP5もいればコーヒークラブもいたのが当時の「ヨーロッパ」なので、それぞれ各国本省と話を詰めようにも、なかなか大変だったろうなぁ。

折田先生は2011年頃までは日本紛争予防センター(JCCP)の理事を務めておられたかと思うけれど、いまJCCPのウェブサイト見てみたら理事から外れられていた。中央大学教授も、この3月で退官されたようなので、辞めてしまったのだろうか。ちなみにJCCPで長年、会長を務められた明石康氏が顧問になっておられるのも、はじめて気付いた。
ほとんど検索エンジン経由で、しかもWifi設定がらみの記事に一見さんのアクセスが集中するばかりのこのブログですが、久しぶりに時間ができたので本の備忘録を書き始めてみたり、いろいろ試行錯誤しながらやっております。

どなたが読まれているか分かりませんが、備忘録を世界中どこでもネット環境さえあれば読めるようにしたいという、ただそれだけの理由でぼちぼち続けていて、また考えが変わるかもしれませんが、しばらくはこの調子だと思います。


NHK教育(Eテレ)2013年5月4日「SWITCHインタビュー 達人達(たち)小山薫堂×佐藤可士和」
http://www4.nhk.or.jp/switch-int/

「もったいない」がモットーで貧乏性の小山と、そぎ落とす「整理」が信条の佐藤。
真逆のアプローチながら、日本を代表するトップクリエイターの二人が、
お互いの仕事場を訪ね合って、企画の極意を探り合う。

とても豪華で、刺激的なインタビューでした!

メモ書きは以下のとおり。
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▼小山薫堂のアプローチ

もったいないを、もったいなくする
e.g. 下鴨茶寮
最近、小山が経営を引き継いだ京都の老舗料亭。
客にもったいないものを聞くと、エアコンの室外機が庭に出てたとか、
あぁもったいないというポイントが指摘された。こういうのを一つ一つ改善していく。

自分流に変える、和える(あえる)
e.g. 料亭で一鉢を食べてすぐ一筆したためる企画 with 武田双雲

ものは捨てない
事務所も一見無駄に見える遊び心のあるもので雑然としている
その雑然とした偶然性のなかから企画が生み出される

企画のきっかけは奨学生のときの誕生日会。
まったく同じ誕生日で、親の仕事も美容師で一緒という同級生がいた。
どうやったら自分の誕生日会の方に来てくれるか?
そのために考え始めたのが、小山の企画の原点。


▼佐藤可士和のアプローチ

情報の「整理」というデザイン
徹底的にシンプルに。
マジックなどあまり使わない文房具は共有。個人で持たず、バックヤードに隠す。
几帳面な人しか採用しない

打ち合わせは手ぶら 
メモも取らない。一番大事なことだけ覚えて帰る。

e.g. セブンイレブンブランディングプロジェクト
当時はさきいかでも弁当でも文房具でも、マークや位置、デザインもバラバラ。
流通の競争に勝つために過剰なデザインになる
箱ティッシュなど家の中の雑貨はシンプルでよい 

整理はエンターテイメント
小3のときにガキ大将が物を整理してた オトナっぽくてかっこよかった


▼柳井正が語る佐藤可士和
自分たちの思いは、なかなか見えにくい。それを表現してくれた。
佐藤は本質をつかむ力が圧倒的に強い
きっちりしないと気が済まないあたりは似ている


▼企画のアプローチ
(佐藤可士和)
問診をしてあげる
経営者はすごいことを既に考えている
それを純化してみせてあげる

答えは相手の中にある by 佐藤
これは経営者には刺さりますね。by 小山

会長発注の多い佐藤
調整に追われずクリエイティブに専念するために、ジャッジをできる人としか仕事しない 
調整ばっかりでカオスになることを会社員時代にイヤというほど経験してきた

アイデアは化学反応 by 小山
摩擦があって爆発するもの
やりたい人がやるように体質を改善しあげて、その人が何かに気づく


e.g. 今治タオル by 佐藤
瀕死の重症で予算もない 縁もゆかりもない タオルのことを考えたこともなかった
すべてのファクターが遠かった

しかし、タオルを使ってみたらクオリティのよさにびっくりした

もともとあるものを磨く
品質が軸でブランディングできると考えた
水に沈むと5秒以内に沈むことを5秒ルールとして生産者自身が制限を課した
ブランド管理についても執行部が徹底してくれた

日本を世界にプレゼンテーションする仕事 cf. ユニクロ、今治

内閣官房 ソマリア沖・アデン湾における海賊対処に関する関係省庁連絡会
2013年3月
「2012年海賊対処レポート」

本件についてまとまったレポートを探していたところ、
これは写真も多用されていて、報告書としても大変分かりやすい。

一時期に比べると海賊による被害は減っているようだけれども、
いまだにロケットランチャーで武装していたり、その危険性は高い。
(ちなみにロケットランチャーを構えた海賊の写真も掲載されている)
P3Cによる他国との連携業務詳細についても記述がある。

興味深かった点は以下のとおり。
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日本の貿易量(トン数ベース)の99.7%が海上輸送に依存

世界で発生している海賊事案は、港の沖合に停泊している船舶に対して闇夜にまぎれて金品を盗み取るといった武装強盗的なものが多い。一方、ソマリア海賊の特徴は、そのほとんどが航行中の船舶に対して自動小銃やロケット・ランチャーを使って襲撃し、ハイジャックしていることである。

近年は、海賊母船として漁船に加え、商船を利用するなど、その手口がますます巧妙かつ大胆になっている。例えば、ハイジャックした商船を海賊母船として使用し、不意をついて他の商船を襲撃するといった事案も数多く発生している他、軍艦を襲撃するという事案も発生している。

2009年6月に「海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律」(以下「海賊対処法」という。)が成立し、同年7月から同法に基づく海賊対処行動として、自衛隊の部隊が、ソマリア沖・アデン湾において海賊行為に対処するための護衛活動を行っている。

※ここで自衛隊の「部隊」とは海賊行為への対処を護衛艦により行う部隊と航空機により行う部隊のこと。護衛艦には引き続き海上保安官が同乗。

護衛艦による護衛活動は、護衛艦が船団を直接エスコートする方法により実施している。またエスコートする航路については、モンスーンの影響による海賊発生海域の変化を踏まえ、モンスーンの影響が小さく海賊が遠洋に進出する時期には航路を約200km東方に延長するなど柔軟な運用を図っている。

P-3C哨戒機は、ジブチを拠点として警戒監視や情報収集、民間船舶や海賊対処に従事する他国艦艇への情報提供を行っている。これにより、民間船舶は海賊を回避し、他国艦艇は効率的に警戒監視、立入検査、武器の押収等を行うことが可能となり、海賊行為の未然防止に大きく寄与している。
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ところで、保護対象の船籍でリベリアが多いのは、便宜置籍船(FCC: flags of convenience vessel)が多いためだろう。
リベリアといえば内戦を経験した国だが、そのときに船舶登録・登記がどうなっていたのか調べてみたところ、リベリアの便宜置籍制度は、リベリア政府では無く、アメリカに本社のあるLISCR(The Liberian Registry)が、その許認可活動を担っているとのこと。つまり、内戦時でも、特段問題なくリベリアの船籍登録はアメリカで行われていた、ということなのだろう。内戦時は、このLISCRが政府側の資金源になっているという指摘も散見された。便宜置籍船は水産業においてはIUU(違法、無規制、無報告)漁業の温床として批判を受けているが、麻薬や銃、ダイヤモンドなど資源だけでなく、まさか便宜置籍が内戦の資金源になりうるとは考えてもみなかった。



冒頭、マッカーサーの「日本と講和を検討すべき時期が、いまや近づきつつある」という爆弾発言から始まる。

米議会は占領費用に懸念があった。そして、日本の非武装化が奇跡的に完了したいま、経済復興のためには講和条約が不可欠というのが、国務省、そしてマッカーサーの考えだった。

しかしアジア太平洋地域に英連邦の安全保障にかかる利害をいまだ有していたイギリスとアメリカは同床異夢であり、また、そこには対日講和という重要な外交課題において、アメリカの意のままにされたくないという一種の誇りもあった。

日米安保の原型としてイギリスのデニング・ミッションが日米間二国間の同盟を提唱していた。

1948年のケナン・ミッションを踏まえたNSC13/2文書は早期講和に反対。しかし、1949年に国務次官を務めたアチソン国務長官就任により、ケナンの考えは否定される。同時に、ペンタゴンは冷戦の始まりを踏まえた日本再軍備への関心を高めていた。

コロンボ会議。英連邦内ではオーストラリア等が日本再軍備に反対。中国問題についてイギリスは中ソ引き離しを画策するも、英連邦内では意見の相違が大きかった。

朝鮮戦争の勃発、アジアでの冷戦激化の情勢、さらに中国義勇軍の戦争への大規模介入により、講和をめぐる交渉は日本に有利になった。アメリカが日本に求めたのは自由主義陣営の一員としてとどまることの明確な保証、軍事基地の自由使用、日本再軍備、太平洋島嶼防衛連合への日本の編入であった。吉田は、これに対して外務省のみならず外部識者にも対応検討を依頼した。

p.166「ダレスとの交渉にあたり、核心となるのは、再軍備問題と予想されていた。基地の提供とアメリカ軍の駐留については、すでに日米両国政府間で、ある程度意思の疎通ができていたものの、警察予備隊の枠をこえた再軍備となると、両国の考え方のひらきは大きかった」

1951年1月のダレス・吉田交渉においてマッカーサーは日本再軍備消極論で、吉田の肩を持つ。吉田は根回しをしていた。

「わが方の見解」:沖縄と小笠原の返還を求める、日米で安全保障のための協力を平和条約とは別個に成立せしめる、再軍備はしない、「今日、日本の安全は、軍備よりも民生の安定にかかることはるかに大である」=経済復興を重視

★基地駐留は当然のものとなっており、バーゲニングの関係にあったのは、日本再軍備と、アメリカによる防衛保証

朝鮮戦争に触発され、米政府が実現に乗り出した太平洋協定案は、イギリスの強硬な反対で挫折する。ダレス・ガスコイン会談において、ガスコイン駐日英国代表は反発。「世界の強国のイギリスの立場という観点から見るとき、提案は太平洋その他の地域における、我が国の責任の放棄として受けとられ、またおそらく英米間の政策の乖離の証左と解されるだろう」 イギリスは、当事国から除外されていた。これにより日本は、日米間の協定のみに照準を合わせればすむこととなった。

サンフランシスコ講和会議において、英米では台湾の国民政府と、共産党政府といずれかを招聘するかにより意見がまとめらず、結局、招聘されることはなかった。

吉田書簡により、日本は国民党政府を相手にすることが明確になった。これが保証となり講和条約は米議会を通過した。

芦田路線は自主軍備、全面講和は高邁な理想として国内でも人気があったが、いずれも国際政治の現実を反映したものではなかった。結局、吉田の多数講和で決着した。(これについては本書では多く語られていない。時間切れだったとのことである)


NHK「プロフェッショナル」を基に天野先生が書き下ろした。天野先生のコトバは、落ちこぼれの自分でも、毎日毎日努力をすれば、なんとか世の中に役に立つ仕事ができるかもしれないと、希望をもたらしてくれる。また、後進の育成に励む一人の師匠として、家族を持つ親としての思いについても述べられている。

印象的な内容は以下のとおり。
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どんなときでも、自分の引き出しの中からもっとも揺るぎないものを出していく力は、一朝一夕には確立できません。それを可能にするには、形になっていないものを形にしていく努力をコツコツ積み重ねるしかないのです。自分が命を懸けて取り組んできたことがあるなら、その道にさらなる一歩を踏み出すことは、自分にとって一番簡単な方法であり、解決への一番の近道であるはずです。自分の信じる道を、迷わずに、歩み続けること。それこそ自分を成長させ、相手に利益をもたらし、社会に貢献できる生き方でしょう。

後ろからスタートした者は、前を行く人以上の努力をしなければ、いつまで経っても先頭に立つことはできません。

部下を伸ばすための上司の役割というのは、知識と経験のアンバランスを統合してあげることです。十分に勉強していて、意欲もあって、あと足りないのは経験だけという部下には、どんどん経験の場を与えることも、上司の責務です。


カラシニコフ第一部に引き続き、パキスタンやアフガニスタンなどの紛争地からのルポ。

コロンビア(元)ゲリラへの取材は印象的。
「FARC(コロンビア革命軍)は社会主義ゲリラだといわれていたし、自分でもそう思っていた。ところが中に入ってみたら関係なかった。人質を拉致して身代金を取る。コカインの密輸をする。幹部は一日中そんなことばかり話していて、政治的な話題はほとんど出てこなかった」
こういう反政府ゲリラとの停戦合意とは何なのだろう、どのように可能なのか、ということを考えた。

中国の北方工業公司製のノリンコMAKはAK47の違法コピー。こうした安かろう主義のノリンコMAKは米国に大量に流入したが、1994年の銃規制法が制定されてから半自動ライフルの販売ができなくなったため、正規の銃販売業者ですら、在庫処分のためにコロンビアゲリラに密輸した。

パキスタンの部族地帯では、銃を持つことが当たり前である。警察ですら権限が及ばない。自治地域の治安は、パシュトゥン人で形成される部族警察が責任を持つ。部族警察のパシュトゥン人は、自動小銃をつくるのも持つのも自由。


朝日新聞の松本氏は、全国紙では珍しく、内戦地域に実際に足を踏み入れたジャーナリストのひとり。

ソマリランドの記述が特に興味深い。
ソマリランドは銃を毎日返納する。民兵を、銃ごと軍と警察に吸収してしまった。

ソマリアでも、ソマリランドだけは平和な地域となっているが、こうした軍隊をそのまま取り込むというのは、イラクや南スーダンでも行われている。Reintegrationとして成功するかどうかは、慎重な戦略が必要となる。


民軍関係に携わってきた第一線の実務家と研究者が揃って執筆した重要な一冊。

ここでは中満泉「人道支援組織の視点から見た民軍関係の課題」に注目して、印象的な記述(一部引用、一部要約)は以下のとおり。
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ボスニアの民軍関係における困難は、市民の保護の観点から安全地帯決議が採択され、その執行をめぐり実行力を持たない国連が、次第にNATOの空爆への依存度を増すようになってからである。近接航空支援とNATOの空軍力行使の混乱。See.明石康

【ルワンダ人道危機】
ルワンダ国内の安全地域でのキャンプ設営や援助配布などに合意がなかった。文民の側に国内避難民問題に関する統一的な主導機関が存在しないという体制上の欠陥があった。

★【サービス・パッケージという民軍連携】
 ザイール、特に短期間の難民流出では史上最高を記録したゴマ周辺での緊急人道危機に対処した民軍協力は特筆に値する。後に「サービス・パッケージ」として整備されるこの民軍協力は、大規模危機にて文民組織の能力が明らかに欠如する分野で、各国からサービスや物資、支援要員、資金などを丸抱え・自己完結型で提供してもらう、という緊急援助ツールである。ゴマの人道危機では、軍隊が機動力を発揮すると考えられた空港の管理運営、後方支援基地業務、道路設備と道路の治安維持、難民キャンプ設営、調理用家庭燃料の配給、衛星設備、給水管理、空輸基地管理の8分野の支援が各国に要請された。当初の出足には時間がかかったが、軍事組織の巨大な兵站・工兵能力によって、キャンプ内の人道状況は一旦沈静化に向かった。米仏両軍が撤収した後を引き継いで、日本の自衛隊も医療・給水活動などに従事した。ルワンダ人道危機での経験をもとに、現在、UNHCRでは20分野にサービス・パッケージを保持している。

・民軍協力によって援助の分野は対処されたが、難民キャンプ内の治安問題に関して軍隊の協力は得られなかった。もっとも危険な環境での人道活動は、文民に任されるという印象が、人道支援組織の間で共有された。

【コソボにおける民軍の競合】
コソボ危機において初めて、文民組織とNATOが人道支援で競合関係に陥った。大規模な緊急人道危機では、軍隊が主導権を握るべきという主張が現れたのである。これには複合的な要因があった。初期のUNHCRの対応ミスによる文民組織への信頼低下、マケドニア・アルバニア両政府がNATOやEUとの関係強化という自国の政治的利益のためにNATOの主導を望み、NATOの側も、コソボ介入が地上部隊投入となった場合に重要な後方基地となるマケドニアとの関係を強化する政治的意図もあった。また、メディアの注目を浴びたコソボ危機において、自国の軍隊による目に見える援助をおこないたいというドナー側の意図も見え隠れした。NATOに支援を要請した緒方HCRとソラナNATO事務総長の書簡交換によってUNHCRに主導権があることが確認されたものの、現場ではNATOの圧倒的な機動力と積極的に直接支援に関わるアプローチの前で、UNHCRのリーダーシップに疑問を呈する声が効かれた。軍隊は後方支援ではなく、コソボにおいて前面に出ることになった。

・NATOの直接支援が前面に押し出されドナー各国の特色が強調される経口があった。支援内容に格差が出たり、ドナー各国間での不必要な競争が起こった。自国の顔を見せる援助に関しては協議・調整がなかった。

【コソボにおいて軍事組織の得意分野が明らかになった】
軍事組織に拠る人道活動は、
1.人道機関の活動を保証し、市民の保護を達成するために必要な治安回復
2.危険地域での物資の輸送や、倉庫の管理といった人道支援組織の側面支援
3.難民・IDPへの直接支援配布
という三つのうち、明らかに軍事組織が多大な貢献をしたのは1と2であって、3はむしろ問題の方が大きかった。