2009年6月アーカイブ

 
日系のPR会社で働いている友達がいて、この前一時帰国したので六本木で食事。

いやぁ、中国おそるべしだなぁーー


・経済成長率が6.8%に減速、でも上海では「維持」と強気な風潮

・面子を最優先するので、叱るときも人の面前ではNGで、メールとかじゃないとついてこない

・社外の人とのコミュニケーションでメールはあまり使わず、msnメッセンジャーばかり。数回会った人にはメッセンジャーでやり取りをする。メールはフォーマルなコミュニケーション。電話や実際に会って話すというのも日本より少ない。

・サービス業のレベルが低すぎる。納期守らない。成果が無くても請求する。「文明化されてない」と見るアメリカ人もいる

・取材をされる側が御足代を出さないといけない。新聞なら300元(4,500円)、テレビなら1,000元(15,000円)。しかも、筆記用具やメモ帳を準備するのも取材「される」側が準備する。すなわち、記者が会社に来て受付を済ませたら、御足代と筆記用具とメモ帳をまず来てもらった記者に渡してから取材がスタート。ただ日本よりは記事になりやすい感触あり。

・記者会見は御足代のバラマキ大会の体となる。受付で御足代を渡し、イスの上にメモやペンを置いてある。国営企業の次に楽なのが記者と言われている。※

・日本よりはカネは貯まりやすい。有名ホテルのスイートで一泊12,000円ぐらい。

・不景気で日本の現法(現地法人)からは日本人が撤退し、中国人になっていっている。ローカル化が進んでいる。

・上海人は中国一、仕事をしないとも言われる。その含意は、上海の人が非常に能弁な点にある。

・携帯は3Gが流行りつつあるけどネットは見れない。メールもSMSばかり。ピンインでメールうつ。日本のカナ打ちに近い。というか、予測変換はアジア圏に展開する日本人のノウハウ。Sony Ericssonの携帯を見せてもらったが、カメラも3.2メガピクセルだし日本のよりSony Ericssonかっこよくて薄い。これはびっくりした。
http://www.sonyericsson.com/cws/products/mobilephones/overview/w715?lc=zh&cc=cn

・上海の街中では、大富豪っぽい人はあまり見ない。庶民とは住む世界が違うのか?

・残業しないから仕事は粗い。しかし、日本より効率がよいのは間違いない


※国営企業は、ほんとにほとんど仕事しないで朝から晩まで座ってるだけ、とかあるらしい。すげぇな。宋文洲さんのメルマガでも、「毛沢東の孫はレストランなどのイベントに顔を出して毛沢東の孫ですといって出演料を稼いで生活しています。」と。
http://www.soubunshu.com/article/122187454.html



やはりいろいろ知るとおもしろいっすね。
 
インプットとアウトプットどちらも大事だよ、
というのは確かにそうだろう。

ただ、実はその裏には
「人はアウトプットにより誰かの役に立つ」
というのが暗黙の了解として共有されているんではないでしょうか。


その意味で、アウトプットは実は二つのプロセスが支えている。

一つはまず自らの能力を高めること。

そして重要なもう一つは、
自らの能力を評価してくれる人を探すこと。

社会人になって三年目以降の"ポスト若手"にとっては、
実は後者がけっこう大事とおもう。


「人は他人によってしか評価されない」(柳井正)

転職は分かりやすい例と思いますが、
誤解を恐れず言えば、
取引先やメンターも「選ぶ」のが大事なのではないか。


そして、他に飛び抜けて評価されるには、
自分より「二世代以上は上」の人にどれだけ評価してもらえるか、
その総和を気にするようにしたいなと。

例えば20代なら、40代以上の人からの評価の総和を
人間的な成長の指標にしてみるとか。

つまり直接の上司や部長、研究者なら教授とかはもちろん、
関連部署の部長や役員、専攻以外の分野の教授とか、
パートナー企業の役員とか、まぁいろいろあると思います。

20代で、自分を評価してくれる40代が近くに5人ぐらい、
きちんといれば、それは成果が出ていると判断していいんじゃないかと。

ただ愛嬌があるだけでもダメだし、
仕事が多少できるだけでなく「抜群に」できないと、
2世代上の人に評価されるのって難しいとおもってみたんだけど、
どうでしょう?


たぶん20代で40代に評価される人は、30代にも20代にも評価されるだけの優秀さを持つものの、その逆はないんでない?とおもってみた。
 
あと、別に俺が評価されているとかそういう話ではないです、もちろん(笑)
 


★★★★☆


世銀(世界銀行)の副総裁だった日本人が語る、
開発融資の実際。
もともと経済学の教授だった筆者は、開発経済の専門家ではないというが、
夫がIMFに勤務していたというので、まったく偶然というわけではないだろう。
世銀と言えば、今も昔も高学歴、最近では、アイビーリーグの博士号が、
まずは入行条件というような国際機関である。

そんな彼女だが、サバティカルにかかってきた一本の電話が人生を変える。
かつての教え子で世銀に入った元学生に、どこか途上国で行くなら、
と聞いてエジプトに行った筆者。

そこで出会った病体の母に抱きしめられたナディアという少女。
母親が疲れきって、その手からナディアを渡されて彼女は愕然とする。
「羽毛のように軽い」
というのが、彼女の印象であった。

そして、ナディアは筆者の腕の中で息を引き取ることになる。

これが、筆者を貧困撲滅へと駆り立てる。
そして、各国の指導者に開発融資を行うと当時に、指導体制に注文をつけていく

日本で開発援助というと、どこか慈善事業的な響きがする。
ODAとか、援助は有償か無償(グラント)かといった話題だ。
しかし、日本での開発についての議論は、本来、周辺的な話題である。
植民地支配の歴史があるイギリスや、同じく冷戦期のマーシャルプラン以降、
世界の復興や開発に注力してきた伝統のあるアメリカでは、
まずはガバナンス、そして現地のニーズがあって、貧困をもたらす要因の理解、
そして、必要なのはカネか、技術か、インフラ整備か、法の支配かなどがまずは議論となる。
どの程度の資金を融資すべきかというのは、最後に来る話である。

その意味で、世銀副総裁として、各国のリーダーと折衝し、
よいリーダーによって開発が進み、悪いリーダーによって人々は貧困の罠にはまりつづける、
という現実を見てきた筆者だからこそ書ける文章だと思った。

いわゆる開発援助を志す人にもぜひお勧めしたい一冊です。


★★★☆☆
リチャードブロンソンという人の人生は、
せっかく一度の人生だ、
刺激的に生きていきたいと思う人には結構刺さると思う。


彼は一世代で世界にインパクトを与えるような事業を
成し遂げてきた。その事業はCD販売から書籍、旅行、航空会社、
果ては宇宙旅行に至る。最近では、貧困撲滅も新規事業で展開しているとのこと。

僕にとっては、小さい時に福岡にできたヴァージンメガストアを見て、
こりゃすげぇとびっくりしたのがヴァージンとの出会いだ。
(当時はHMVやタワレコなんてものは福岡には無かった)


この本で刺さった言葉。

「バカだけだ、自分の考えを変えないのは」

「ミスをし教訓を学ぶ技を身につけるべし」


ちなみに、ヴァージンメガストアは2009年1月をもって、
すべて閉店しTSUTAYAに看板を書き換えたという。
日本法人は、元々が丸井とCCCの合弁でスタートし、
今はCCCの100%子会社になっているということなので、
時代の流れに沿って、致し方なしなのかなぁ。すこしさびしいけれど。

ちなみに、閉店するのは日本だけではない。
なんとNYのマンハッタン店も閉店とのこと。

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