2009年12月アーカイブ



・前半は戦後対日占領政策において、ケナンが果たした役割について論じる。「ケナンは、対日占領政策の実施に当たって精神革命の必要を説き、その効果を信じたマッカーサーとは異なり、東アジア地域に対するアメリカの影響力に限界を感じる、消極的な評価をしていた。と同時にそれは他方で、日本をまさにアメリカの世界政策の中に位置付けたことによって、他の東アジア諸国の安定化の問題と結びつけることになる。この構想自体は、1947年5月に国務次官D・アチソンがミシシッピ州クリーヴランドで行った「デルタ演説」にすでに示されていたが、ケナンはそれを東アジアの不安定な情勢の中でアメリカの安全保障を確保するための具体的な政策案に編入する作業を行っていたものといえよう。疑いもなくそれは、対日占領政策を冷戦の観点から全世界的な規模での封じ込め政策に編入することを意味したのである。」(pp.51-52)



・後半は、日本側の「外交態勢」について述べている。筆者が外交態勢という言葉につき明瞭な定義を与えていないことにはうらみが残る。「本章では、対日講和の締結をめぐる保守と革新との対立には、日本国憲法の下での国際社会への出発という観点から捉えると、相互に補い合う側面もみられることに着目して、両勢力間の相互作用の全体を戦後日本の「外交態勢」と呼んでいる。」(p.131) 外交態勢の第一の特色として安全保障問題に関して秘密外交的な性格が強くみられる点を指摘しているが、これは先日、遂に証拠となる文書が見つかった佐藤首相の核持ち込み密約問題につながる特徴でもあろう。保守勢力は「対外協調を重視して外交上の選択肢を狭める一方、国内での外交論議では外交問題を理念的に論じる傾向が強かった。こうして軍事問題も取り扱わざるをえない現実の外交と、日本国憲法の平和主義を旨とする国内の外交論議との間には深い懸隔が生じたのである。保守主義が持続する日本政府は、アメリカ政府との秘密交渉を通じて両者が相互に干渉し合わないように努め、それによってアメリカとの同盟関係を保持するように図ってきた。」(p.132)


・平和問題談話会の「三たび平和について」における丸山真男の柔軟性はリアリズムと読み替えることもできるだろう。そこには、民主主義を追求すべしという彼らの理想が込められていた。アジアを向いた非武装による平和主義と中立外交を、国連のもとで行うという全面講和が丸山らの姿勢であった。都留重人が英訳したというのは、彼が世界恐慌後のTVAについて国内で随一の理解者だったことをふまえて考えると興味深い。

・知識人たちが全面講和を唱えていた、1951年の日米安保条約締結・単独講和までの外交態勢のダイナミクスというのは、やはり面白い。朝鮮戦争開始で一気に単独講和に針が触れてしまうわけだが、それまでに、隘路の中で選択しようとした戦後外交の理解がなければ、その後の日米関係は理解できまい。これは岡義武が述べる、まさに「国内体制の民主化と国際政治との連関」と共鳴するところだろう。

・また、六本木の国際文化会館の創設に至るドラマもおもしろい。


東京大学法学部で政治史・外交史を講じた岡義武が1955年に岩波全書の一冊として著した名著。岩波現代文庫でリニューアル。坂本義和氏の解説付き。

国際政治史というタイトルではあるが、時期区分としては絶対王政期ヨーロッパから帝国主義、戦間期までが中心として記述されている。特徴的なのは絶対王政期の「ヨーロッパの膨張」と、ナポレオン戦争、フランス革命の前後の記述である。坂本義和も解説で指摘する通り、市民の視点が取り上げられていて、またそれが必ずしも文中で明示的に書かれているわけではないが、ウィーン体制を「市民的政治体制形成期のヨーロッパと世界」といった見出しで記述している。これは外交と内政をセットで考えようとする取り組みということであり、高坂『古典外交の成熟と崩壊』で外交官の貴族的な文化的均質性を指摘した会議外交という見方とは異なるものであろう。本書では、ウィーン会議の成果を正統主義と勢力均衡の見地を指導原則とした復古的なものであり、民族主義が考慮の外に置かれた(pp..52-57)と捉える。ウィーン会議後、政治的自由獲得の運動、民族的解放の運動が徐々に発展するも、メッテルニヒに代表されるドイツおよびイタリアにおいて弾圧された。坂本が指摘するように、国内体制の民主化と国際政治との連関(p.389)が本書の特色であるが、これは1955年という当時を考えると、やはり先駆的な業績と言えるだろう。

岡義武はモーゲンソーに批判的であった。岡の弟子であった坂本義和がシカゴ大学のモーゲンソーの下に留学したことは興味深い。ただし、モーゲンソーをゴリゴリのリアリストと切って捨てるには、本書の市民の視点が明確に差異化できるほどに徹底して書かれているとは言えない。とはいえ、絶対王政期から第二次世界大戦期を考えるにはナショナルインタレストの政治を重視せざるをえないように思うのは、本書から50年以上たって、デモクラシーが良い意味でも悪い意味でも普遍的な価値として広まった現代に生きているからかもしれない。


 地雷など兵器の利用制限は戦力との兼ね合いだけでなく、産軍複合体が浸透した経済においては産業界にも目配せをせざるを得ない問題であるため、従来の政府間交渉では非常に解決が難しい。それは国連軍縮局において、核廃絶が目標達成不可能な「儀式的活動」として続けられてきた点においても顕著であった。
 NGOの活動も、ただの抗議に留まらず、専門性を特化して、かつ、パブリックリレーションズに長けた活動であれば有効である。まさに地雷廃止においては、対人地雷の問題をイデオロギー的な論争にせず、非人道性、無差別性を追求することによって、しかも、動きの鈍い政府の先手を打って世論を動かし得たのが成功のポイントであった。決定的だったのは、ICBLのアジェンダセッティングについてカナダ政府が支持し、連携できたことだった。カナダはミドルパワー外交として平和への高い貢献を誇りとする国であり、彼らのスタンスと、非人道的な対人地雷廃止という目的がうまく合致できた好例と言えるだろう。
 それでは、対人地雷廃止を巡る政治は果たしてパワーポリティクスとしての古典的リアリズムから人間の安全保障への転換と素直に位置付けられるだろうか。残念ながら、これは地雷という兵器の特殊性に拠るところが大きいと思う。米英仏など大国が対人地雷廃止活動に核軍縮ほど消極的でなかったのは、軍事的な観点からも対人地雷廃止が大国にとって望ましいという点は否定できない。現代の大国の軍事戦略においては、出口戦略を明確にし、できるだけ兵士の被害が少ない戦術が求められる。必要な兵力はまず精密誘導装置を搭載したミサイルと、それを運ぶ爆撃機から検討が進み、世論の反発が高い地上軍の展開はできるだけ後回しにされてきた。しかし、地上軍を派遣しなければ解決できない戦争や地域紛争も出てきた。たとえば冷戦後の国連の平和活動においても、UNTACが展開されたカンボジアはベトナム戦争の地雷原が残る中で展開された。オタワ・プロセスは90年代だったが、現代の地域紛争でも地雷は使われており、典型的なのがアフガニスタンである。ISAFが保有する銃弾には強い装甲車も、下からの地雷の爆発ではひとたまりも無い。このように大国が地雷を利用する意味が薄れてきており、むしろ地雷廃止により戦略的に有利になれる状況が背景にあったことからも、単純に地雷廃止を軍縮の好例として手放しで喜ぶわけにはいかない。
しかし、それはNGOのアジェンダ設定を否定するものでは無い。むしろ、そのような大国政治が動きやすい環境があってさえ、動きの鈍い政府間政治を打破するきっかけとして、高い専門性を有したNGOが素早い動きを見せたことは、大きな利点であったと言えよう。

 IPCCの研究報告書は地球温暖化による気候変動という現実を把握するための覇権的な科学言説となっており、UNEPもその報告を基に広報活動を推進している。IPCC報告書の分析態度として、確固とした発見と不確実な知見とを区別し、複雑性にも配慮するなど、慎重な態度が見られる。また、IPCCはその設置当初から政策志向型であり、純粋に科学研究を進めようとするワークショップとは異なり、政府間組織としての特色が強い。この政治的性質はIPCCが国連システム内の国際機構によって設立され、政府間組織として研究論点や制度設計において政治的な判断が織り込まれやすい構造になっていることからも明らかである。
 IPCCは研究報告書として慎重な判断を下すことは科学知の脆弱性であり、アジェンダ設定において不利なようにも見える。しかし、それが覇権的な科学言説になりえたのはなぜだろうか。一つには、まさにその設立過程から政策志向型であり、UNEPなど権威的な国際機関を巻き込んだからである点があげられよう。それはIPCCが研究組織というよりも、基本的には既存研究をレビューする場であるという点からも明らかだろう。二つ目に、世界経済の成長率や成長速度、政策対応の在り方が世界規模で収斂するか地域ごとに拡散するか、という政策的な対立軸をもとに400におよぶシナリオから6つのシナリオを提示する、という政策志向的な提言が含まれている点であろう。
 ところで、環境問題そのものは新しいトピックでは無い。70年代にもローマクラブによる『成長の限界』など、資源の枯渇と環境問題を結び付けた議論は盛んであったし、それが覇権的な科学言説であったことに議論の余地は無い。当時から産業化における環境破壊は可視化されてきたし、環境保護と産業化がトレードオフであるかのような言説も、古びれてはきたものの、未だに根強い。気候変動という枠組みで政策的に本格的に議論が深まってきているのは、それまで社会科学と自然科学がそれぞれの閉じこもっていたところ、社会的な要請が現実的になってきたために、その融合が求められてきたからではないか。これは、皮肉にもIWCで捕鯨の価値対立と国際的な管理措置の不在が争点になっていることと比べてみたときに特徴が明らかになる。捕鯨問題は、気候変動問題と比較すると、配分される社会的価値の代替可能性が高いといえる。すなわち、鯨肉をめぐる食糧問題や、鯨皮をめぐる資源問題などと考えた場合、文化的価値を捨象すれば、経済的価値による代替が可能である。気候変動は、「発展する権利」という社会的価値の権威的配分において、先進国と途上国が短期的な配分をめぐってゼロサムゲームを争っているものと捉えた場合、その対立は先鋭化する。その論点を整理するために自然科学が果たす役割は当然大きいが、社会科学との融合の順序や組織的構造について、そして何より、そこで決められた政策目標をどのように実現するか、といった課題に対してどのように応えていくのかが、これから科学に求められていくだろう。

 

Ongoing situation
Japan and China have not built so good relation. Why can't we be true friend? Or, don't we think it needs to be good friend? For Japan's perspective, we think that this relation is not more important than Japan-US relation and other West countries'. So far, Japan's strength has regarded as its economy and technology, but many recent indexes and evaluations of economy, such as GDP, show that China is getting ahead of Japan. Japan strongly needed to surpass US and many West countries by economically, while, Japan couldn't well cooperate with China which is different from relationships with many Southeast Asian countries. And also, many honorable global companies, such as TOYOTA, SONY, are relatively weakened. In this situation, Japan gradually thinks about Japan-China relationship seriously. Japan-China relationship has not be so good for some reasons. Having said that, Japan and China are both big countries in Asia, and we both think our good relation is needed for tackling global issues effectively with US, EU and other many countries.

Basis of Japan-China relationship
Why haven't Japan and China build good relations so far? First, the memory of the War has been the trouble issue. Japan was defeated, and Japan wanted to surpass US by economically development. China was not defeated, but has many inner political incidents and the memory of war was used as tying the people firmly. Second, both Japan and China are allied with US. Military balance has been always trouble issues in Japan-China relationship, and this balance was well organized by US. Nixon's surprising visit to Beijing in 1972 was good example. US has kept Japan and China from militarily conflict for the sake of Cold War and the Vietnam War. So, both Japan and China couldn't talk each other about security issues directly, namely without US. Third, Japan and China have different ways of political systems and languages. China is still governed by only one socialist party. Very few Japanese have learned Chinese, it seems same in China for leaning Japanese. We couldn't know each other well. These distrusts are the basis of Japan-China unhappy relationship.

How to achieve "our objectives"?
 
 According to the Prof. Tanaka's article, there are three key issues: representation in international institutions, deeper cooperation over energy issues and the environment, and expanded dialogue and collaboration over the consolidation of a regional architecture in East Asia. These three objectives are comprehensive, and "no single nation and alliance will be able to achieve". That is to say, these objectives are not only for Japan but also for China. However, we are not ready to work hand in hand because of distrusts. We should talk, meet and discuss each other at first. For these people's mutual dialogues are important in foreign relations with Japan and China.

 本稿では、国際組織の正統性について論ずる。冷戦が終結して20年が経ったが、この20年は地域紛争や内戦の激化やジェノサイドに対して、既存の国際組織がその原則に修正を加えながら、なんとか対処してきた苦難の連続であった。がんらい、ウェストファリア体制は、悲惨な宗教戦争の反省を基礎としていた。宗教とは絶対的な神を信奉するものであり、異なる神を信奉する宗教間でその正しさを巡る争いが繰り広げられた場合、最終的には異教の殲滅が理論的な目標となる。このような悲惨な宗教戦争を二度と起こさないために国教の自由を認め、絶対的な国家主権を定めた。これを相互に認め合い、主権は不可侵であるとするのがウェストファリア体制の基本的な前提のひとつであった。
 冷戦の終焉は、米ソ間の核戦争の恐怖からの解放をもたらした。しかし、米ソが勢力圏に行使してきた介入を控え、利害の薄いアフリカ諸国やアフガニスタンなどアジア諸国などから撤退することで発生したのは、地域紛争ないし国家内における内戦の激化であった。それまでのように主権を有する絶対的な存在としての国家として機能しえない破綻国家がソマリアやルワンダなどで課題となって表出した。国際赤十字(ICRC)の職員が殺害されるという事態は、破綻国家における主権の限界を象徴的にあらわす事件でもあった。
 このような国際政治の変質を受けて、アナン事務総長は二つの主権という考えを打ち出した。すなわち、国家が独占してきた領域主権が相対化され、人権という主権が台頭しているという説である。これはコソヴォ紛争において為されたユーゴ空爆を受けたものであった。はたして、このようなウェストファリア体制に対する根本的な修正として「人権」を重視する姿勢が認められつつあることは、国際組織にとってどのような影響をもたらしているのだろうか。以下では、国際刑事裁判所(ICC)と人道的介入の二つの側面から考えてみたい。 
 国際刑事裁判所は、主権国家の枠を超えた超国家的な刑罰権を持つ組織として1998年に成立した[1]。 それまでの超国家的な刑罰権は、対象となる事象を特定してアドホックに設立された裁判所によって行使されてきた。第二次世界大戦後のニュルンベルク国際軍事法廷と極東国際軍事法廷、および、1990年代に安保理決議に基づいて設立された旧ユーゴスラビア国際刑事法廷(ICTY)およびルワンダ国際刑事法廷(ICTR)である。これらの裁判所規定においては、「平和に対する罪(侵略の罪)」「戦争犯罪」「人道に対する罪」そして「ジェノサイド」が対象とされた。1998年に、常設の国際刑事裁判所を設立するローマ規定が採択され、ここでも同じ犯罪類型が対象犯罪とされた。伝統的に国際公法上の犯罪として論じられてきたものの中でも、これら4つは特に、「慣習国際法上の犯罪」(コア・クライム)として確立したとされている。また、ICTYおよびICTRが国連安保理決議によって設立されたのと異なり、国際条約を設立根拠としている点が特徴である。ローマ規定の内容は、従来のアドホックな国際刑事法廷の規定をふまえているが、これらに比してかなり大部になっており、特に、刑事手続きに関する規定には発展が見られる。規定が発効する以前になされた行為を遡って処罰してはならないという「遡及処罰の禁止」も含めて、罪刑法定主義が初めて明文化され、「侵略の罪」を除いては、各犯罪類型の定義も詳細になった。刑罰としては、終身刑、30年以下の自由刑、付加刑としての罰金および没収が予定されている。ICCの管轄権は、国家刑罰権が十分に機能しない場合にこれを補完することとなっている。(ICC規定1条) ただし、ICCの管轄権は、犯罪地国と被疑者国籍国のいずれか一方がICCの管轄権を受諾すれば発生し、締約国以外に対しても効力を持つ。他方で、なおいずれかの受諾は条件とされていることや、また、安保理に、対象犯罪の疑いのある事態をICCの検察官に付託する権限や、ICCの捜査または追訴手続きを延期させる権限が認められていることは、政治的な妥協によるものだとの指摘もある[2]。  
 さて、このように国際社会による平和構築のあり方に大きく影響を与えるICCであるが、実際に有効に機能するかどうかにおいて限界も見られる[3]。 ICCの管轄権が、事実上、ローマ規定に加入した諸国の領土内だけに限られるためである。これまでICCの検察官に捜査を依頼したウガンダやコンゴ民主共和国の例を見ると、中央政府が自国領土内の反政府勢力の犯罪をICCの捜査対象にすることを求めている。つまり、当該国の中央政府が、反政府勢力の犯罪行為を糾弾し、取り締まるためにICCの国際的権威を求めているのである。ICCは純粋に介入主義的な機関ではなく、純粋に非介入主義的な機関でもない。ICCがもつこのような二面的な性格は、強制執行とICCの能力強化の二つの角度から、さらに検討される必要があろう。 
 次に、人道的介入について考えてみたい。介入を巡る議論はあたらしいものでは無いが、1999年にコソヴォ紛争をめぐって国連の明示的な授権無しにNATOがおこなったユーゴ空爆は、その「人道的」な意図から人道的介入と呼ばれた。人道的介入についての主要な論点は、その合法性と正統性をめぐるものである[4]。NATOは空爆の合法性と正統性の説明について三つの方向性をとった 。第一に、空爆直後のNATOの公式見解は、空爆は安保理決議に沿うものであり、ユーゴスラヴィア人民に対する戦争ではなかったというものだった。これは、合法性と正統性とを強引に一致させようとする見解だが、これは、国際法学者のアプローチから否定される。第二に、合法性議論を飛び越えて、正統性の契機を強調するものである。これは正統性を強調することによって違法性から目をそらさせようとする見解であり、正戦論の復活と言えよう 。第三に、NATO指導者は安保理の明示的授権を単なる技術的手続き上の問題とみなし、NATO構成諸国の同意が国際人道法・国際人権法の重要規定の適用審査基準になるとの示唆もおこなった。これは、強行規範や緊急状態といういわば国際法枠組みの限界に位置する規則を通して、正統性から合法性への道を勝ち取ろうとする見解である。このようなNATOの自己正当化努力に対して、空爆の合法性は認められないが、正統性は認められるという評価が一般的になっている。いわば「違法だが正統」といった評価である[5]。   
 しかし、地域的国際機構に過ぎないNATOが、はたしてどれほどの正統性を持ちうるのか。これに対して既存の秩序や人道に基づく規範は、有効な説明ができなかったが、そこで提唱されたのが、Responsibility to Protect(保護する責任、R2P)である。R2Pは、残虐で座視できないほどの脅威に対して国際社会は無視するべきでなく、積極的に保護する責任があるという説である。これはそれまでのウェストファリア体制における基本原則としての主権概念を超越する概念であり、R2Pの概念が憲章7条と合わさってacting under chapter 7として行動が為されることは、国連による政体変動をもたらすこととにもなる。具体的な権限規定に基づかないと拡散の危険があるため、R2Pを安保理が恣意的に援用してしまい、より踏み込んで、R2Pが一般法の原則として国連憲章を飛び越えてしまった時には、濫用される危険すらある。これが現実となったのがG・W・ブッシュ政権におけるイラク戦争であった。これは大量破壊兵器の拡散に反対するものとして国連で議論が為され、結局、明確な国連の授権無しにイラクに対して有志連合国による戦争を行い、これは国際法秩序の危機をもたらした。更に問題となったのは、イラク戦争はフセインの圧政下に苦しむクルド人や一般市民を解放するための人道的介入であるという議論が、アメリカを中心に起こったことである。アメリカのユニラテラルなイラク戦争は、R2Pの賛同者達にとっては、到底、人道的介入と呼べるものではなかったことが明白になったが、R2P概念を放置させないためにどのように国際機関、特に国連が扱うべきなのか。これに呼応したのが、2004年12月に出されたハイレベルパネル報告書であった[6]。ハイレベルパネル報告においては、人類の安全を脅かす脅威が多様化し、相互に関連しあっているとし、一国が自国の安全を単独で守りきれない状況が指摘された。主権国家が国連システムに寄せる期待は拡大しており包括的な安全保障制度が必要とし、新たな脅威に対処するためには、国連のこれまでの組織では機構的、手続き的問題があるとして、それらに対する具体的改革案を提言することを目指し、アナン事務総長が16人の専門家からなるハイレベルパネルを立ち上げた。この16名の中には緒方貞子元国連難民高等弁務官も含まれていた。このパネルが提出した最終報告書がハイレベルパネル報告書であった。本報告書においては、武力行使についてルールと基本原則が明記された。憲章第51条(自衛権)は改正すべきではない(パラ192)という立場をベースとして、 憲章第51条の下での予防的な武力行使の合法性について懸念を表明しつつも、これは、憲章7章下で(安保理によって)容認された集団行動の場合は、当てはまらない(パラ194)とした。そして、人道的災禍に対し、国際社会は安保理の承認の下、「保護する責任」を有する(パラ203)と明示的に記載された。R2Pは、武力行使にあたって条件を提唱したが、その基本的なエッセンスは本報告書にも受け継がれており、憲章第7章に基づき安保理が武力行使を承認する際は、(1)脅威が深刻であること、(2)武力行使の目的が適当であること、(3)武力行使が最後の手段であること、(4)武力行使で用いられる手段が脅威と較べて必要最小限であること、(5)武力を行使した結果が、武力を行使しなかった場合の結果と較べて悪くならないこと、といった5つの基本原則(ガイドライン)を満たす必要があり、安保理、総会は右ガイドラインを明示的に決議すべし(パラ207、208)、等が明記された。このようにして、国連においてR2Pをどのように実務的に取り込むかという動きが、皮肉にもイラク戦争後に加速している。 
 一方で、このような国連のR2Pに対する動きも一枚岩では無い。この提言に呼応したアナン事務総長報告「In Larger freedom」[7] においては、あくまでも憲章7条下において安保理が判断すべきとし、憲章以外の規範については言及していない。その意味では、保護する責任が国連における行動基準として定着するには、ICCの実効的な機能と同様に、まだ時間がかかりそうである。

 

[1] 高山佳奈子「国際犯罪と刑法」大芝亮・藤原帰一・山田哲也編『平和政策』有斐閣、2006年。
[2] 小和田恒「国際刑事裁判所設立の意義と問題点」『国際法外交雑誌』第98巻第5号、1999年。
[3]  篠田英朗「平和構築機関としての国際刑事裁判所」城山英明・石田勇治・遠藤乾編『紛争現場からの平和構築――国際刑事司法の役割と課題』東信堂、2007年。
[4] 篠田英朗「「新介入主義」の正統性:NATOのユーゴスラビア空爆を中心に」広島市立大学広島平和研究所編『人道危機と国際介入―平和回復の処方箋』(有信堂高文社、2003年)30頁‐32頁。
[5] 星野俊也「米国のコソボ紛争介入―その道義性・合法性・正統性」『国際問題』No.479「クリントン政権の対外政策」(2000年2月)28頁。
[6] A/59/565
[7] A/59/2005 "In Larger freedom: towards development, security and human rights for all"

 

US foreign policy's feature is the power and experiences of the interventions for resolve other country's conflict and tyranny. For the explanations of US foreign policy, especially on the intervention, I think the "Groupthink" model is the most useful approach.
 
The "too many ways of explaining policy" reflected such as too many stakeholder, ideology, perception of the foreign policy in America. Without examined the final decision makers, we cannot explain effectively. Foreign policy such as intervention is always tough judge, and this should be done the President who is the person in all accounts. Of course, ideology and international structure are the very important reasons of the judge. However, these are situations and causes of decision, not the actions exactly.
 
For example, Vietnam war had its origin in intervention, because of the anticommunism. But, President Johnson once get the resolution for intervention against Tonkin Gulf Resolution, the president overstepped the rights to use forces, and the war dragged on endlessly.
 
The least useful approach is "business interests" model. First, it is difficult for the decision of foreign policy, especially intervention, because of only business interests. This is also significant for the cost-benefit analysis of Vietnam War, Kosovo intervention, etc. Second, this is crucial that the company who earned from war or intervention unconcealed cannot run the business on the opposition of stockholders and customers. In short, the company may earn, but the multinational big companies are unwilling to business with such company. Furthermore, the compliance has become crucial norm, such as SOX (Sarbanes-Oxley Act), the business on the war has gotten more and more difficult. Then, foreign policy based on business interest doesn't pay.

 

Many Japanese think that Kim Jong-il is almost dying and his regime in North Korea is at the last moment. However, it is not our chance. I guess Kim Jong-il is not so foolish and has been felt slighted. So, he seems to pursue two aims. The one is military supremacy, and the second is the higher start point of access to free trades and financial market. At first, the dominant dictator tends to be under the fear of coup d'tat. For Kim Jong-il, most fear is cannot command the forces. So, security is most important matter for Kim Jong-il. In addition, to start relatively better condition on trades and financial market, NK's attitude is very heavy-handed.
 For Japan, of course security is important, and also to prevent from NK as foreign matter with China. If China takes too important role in solving NK problems, Japan and US can't take part in appropriately.

 
 Of course pressure is important, but also aid is more important. And, to prevent China's too major role, six party talks is best way to solve this problem. Most important thing is that US's painful negotiation with North Korea, and Japan should work on US to keep negotiate with North Korea.

 Japan's most important role is "Liaison" for all interest parties. If Japan can continue this role, the situation with North Korea would better than now. For US, to keep painful negotiation with North Korea is apparently difficult, but it is only way to reluctant North Korea government and to persuade North Korea's tough forces.
 In Japan, the public opinion and the politicians are most difficult matter. They prefer simple and straight resolution with North Korea, but the situation is not so simple, too complicated. So, to keep painful negotiation is the best attitude with North Korea.

 

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