2010年5月アーカイブ

「平和のためには戦争を知らなければならない」とよく言われるが、国際政治研究をやっていて、戦争研究や戦史のフォローがもれおちることは珍しくない。

1956年に出版された『現代の戦争』のコピーが手元にあったんだけれど、きちんと読んでいなかったので読んでみたら、なんともその指摘の現代性にびっくりした。

本書の著者である高木惣吉は日本海軍の将官で、最終階級は海軍少将、終戦時は海軍省教育局長を務めていた。海上勤務は少なかったが、軍政関係で活躍し、『現代の戦争』は、そんな彼の政治と戦争の両方をまたいだ戦史研究である。

戦史というと、硫黄島やレイテ海戦などといった言葉がイメージされがちだが、本書は古代ギリシャから第二次世界大戦に至るまでの戦争について、冷戦初期の危機感の中で執筆されており、その切り口は古さを感じさせない。

 

印象的な記述を引用する。

・戦略における先例偏重
 政治、軍事を支配する階級は世にいう実際家たちであって、過去の経験を最高の指針とし、しかも自然法則と歴史法則を区別しない。「ボーア戦争のときわれわれはなおクリミヤ戦争のつもりでこれをむかえた。アフリカ草原の特殊経験として取捨しなければならなかったアルマ会戦をそのまま、わが軍事思索家たちは次の戦争計画にふけっていたところに、世界大戦と遭遇してしまった」(ロイド・ジョージ) 聡明をもって神話の将軍となたフォッシュ(※)は1910年、飛行機を見せられたとき、「飛んで遊ぶのは体の運動にはいいかもしらんが、軍事的な価値はゼロだ」と、にべなく一笑に付した。(15頁)

※フォッシュ・・・(Wikipediaより)フランスの陸軍軍人。WWⅠでの戦歴が有名で、1918年3月に連合国軍総司令官に就任。連合国を勝利に導いた軍人として賞賛を受け、1919年年にはイギリス陸軍元帥、1922年にはポーランド元帥にも叙せられている。ドイツ軍に対する防戦を指揮していた時の台詞「我が軍の左翼は押されている。中央は崩れかけている。撤退は不可能。状況は最高、これより反撃する」や、ヴェルサイユ条約を指して"This is not a peace. It is an armistice for twenty years.(これは平和などではない。たかが20年の停戦だ)"と宣言した事が有名。


・会戦の時間、戦争期間、戦死傷数
 12世紀以降の戦争における会戦が戦い続けられた日時を見ると、昔はほとんど一日に満たぬ短時間のものですんだのが、現代に近づくにつれて長時間となっている。一方、ひとつの戦争の延年数は12世紀に平均45年だったものが、19世紀には29.5年に半減。人口1000人あたりの戦死傷数は、12世紀は2人だったものが、20世紀には54人にまで膨れ上がっている。(58頁)

・戦争の回数
 1480年から1941年までの世界各国の戦争回数を見ると、1位はイギリスで78回(会戦あるいは戦闘は558回)、2位はフランスで71回(会戦等は1136回)、3位はスペインで64回などとなっており、圧倒的にヨーロッパに集中している。アメリカは13回、中国は11回、日本は9回。 対象とされた全278回の戦争のうち、いわゆる自衛戦争は21回(7.5%)にすぎず、135回が勢力均衡のための戦い、78回が内乱、44回が帝国主義的戦争となっている。とくに注意をひく点は、19世紀にはいってから後の113回の戦争で自衛戦争はただの2回だけで、それも欧州以外の国が西欧の侵略を防御したもので、55回(44%)が勢力均衡のための権力争闘、内乱と帝国主義戦争がいずれも28回(25%)となっている。(61頁)

⇒あくまで国家間戦争が中心なので15世紀の日本の戦国時代は考慮されていない?


・戦争目的の政治化
原始民族から太古時代にかけては信仰(迷信)、風習、その他の社会的原因による戦争が多かったと推定されるが、現代に近づくにしたがって政治的権力争いの戦争が圧倒的に増した。(62頁)

・原子力戦争のエスカレーション
米ソ両陣営が最後の手段に訴えるときは、かならずやその三桁単位以上の原爆に期待することは明らかである。しかも原子力兵器の精神的圧迫は、開戦あるいは開戦不可避と認められた場合、数時間以内にすくなくとも相手よりも早く致命的打撃をあたえる必要を感ずるだろう。もちろん米ソ両国のように広大な国土を数発の原・水爆で圧倒することは不可能であるが一度現実に、あるいは仮想の中に原・水爆が爆発すれば攻撃防御の連鎖反応は瞬時に激化してもはや抑制の方法は見出せないであろう。

⇒太字の所が軍人ならではの視点と思った。但し書きとは言え、政治学研究者に、こんな文章を書く勇気は無い。

 

・総力戦
 現代の総力戦は世間の常識のとおり軍備対軍備の戦いだけでなく政治、産業、経済、社会の各機構と文化のレベルとによって軍備がささえられ、それら各部面も各々みずから戦線を構成するという深刻な事態となり、ふるい殲滅思想で一本調子の破壊戦略に陶酔することは明らかに第二次大戦以上の誤りをくりかえすおそれがある
 がんらい戦争指導が主観的なうえに、相互作用によって熱狂する結果が絶対戦争に近づく理由であって、戦争指導の責任者は当面の現実を認識したり、将来の見通しについて第三者のように冷静、客観的な期待はできないのが普通である。味方の戦力と破壊力はいくらあってもたらなく感じ、相手のそれは時に過大視し、時に過小視する。この相互の判断の食い違いと、攻撃防御の連鎖反応によって正気の沙汰とも思えない殺傷と破壊と報復行為の循環こそ戦争とそれにともなう不幸の無限級数を生み出すのである。(65頁)

・原爆がもたらした戦争と政治の関係の倒錯
 戦争による破壊力の革命的な増大は、政治目的達成のた手段であった戦争が、破壊の対象となる要素ばかりでなく獲得しようとする目的まで破壊する段階となった(77頁)

 

・兵器としての原爆の評価
 ドイツV2ロケットの発明者として有名なヘルマン・オーベルト博士は1954年に朝日新聞の取材を受け、次のように語った。「原子力の研究はここ1年以内に戦争を不可能にしてしまうものと思う。それまでには原爆を積んだロケットが、45秒以内に地球上のいかなる地点にも到達できるようになるだろう。これは戦争が起こった場合、敵の大都市を2,3時間以内にのこらず破壊できるということである。そうなれば、いかなる大臣も戦争を決意することはできないだろうと確信する。戦争を決意することは同時に自己の死刑判決に署名するようなものだからだ」

・原爆/水爆により殲滅戦は不可能になった
 戦争の規模が小さく、兵器の威力も幼稚で、しかも地球が人間の生活空間として十分に広大であった頃は、相手を全滅したり、敵国の政治経済をこわして降参させることは簡単明瞭であり、しかも勝者は、のびのびと生き残れることが許された。ところが条件は一変して地球は三日航程に縮まり、破壊力は一瞬に大都市を消滅させる世の中となってきた。その今日になっても敵の軍隊、基地、工業施設から大都市までも抹殺しつくそうと懸命に用意するのは、勝利の確かな方法として、破壊と殺害が最も効果的だという昔ながらの信仰、むしろ迷信がのこっているからである。(95頁)

 

・ロジスティックスの重要性の高まり
 昔の軍隊はいわゆる戦闘部分が大部分で、軍需品も兵士の食糧などわずかの種類にすぎず、このため蒙古(モンゴル)軍もハンニバル軍も遠い昔のアレキサンダー遠征軍もおおかたは現地補給にたよって、補助部隊は記録にも残らないほどである。
 ところが最近のインドシナ戦争の危機にあたって、アメリカ軍が救援のため干渉するかどうかが問題となったとき、もし陸軍を送るとすれば5個師団から8個師団が最小限必要で、もし中共軍が参戦すればむろん10個師団以上が絶対必要となる。それに補充部隊はその5倍を見込まねばならないので、仮に5個師団を第一線に立てると総兵力50万を用意しなければならないが、その余裕が当時アメリカ陸軍のどこにも見出せない、というのが参謀総長リッジウェー大佐の第一の反対理由であった。もしこの比率を取るとすれば、戦線の一人に対して補助部隊5人、内地の軍需生産に17ないし20人を加え、戦線に50万人を維持するには約1,200-1,300万人の国民が動員されることが条件となり、現代戦争のきびしさと、フランスがなぜインドシナ戦争に失敗したかの理由がほぼ想像できるであろう
 イギリスのウェーヴェル元帥も1953年の時点で既に次のように述べている。「将軍の肉体的、道徳的資格のほかその知能についていえば、もの能、不能を弁別する常識がいちばん大切である。またこれまで多くの人は戦略、戦術が根本だと考えたが、じつは地形学と軍事的移動と補給の知識を基にした戦争のメカニズムを知らなければならぬ。」(114-115頁)

⇒ようは、昔は兵士1人で後方支援はほぼ不要、第二次大戦でも米英は兵士1人:後方1人だったのが、現代戦争においては兵士1人:後方24人-26人が必要になっている。それだけ、ロジスティックスの重要性が格段に増しているということ。


・「社会学的原爆」としてのイデオロギー
 19世紀のはじめフランス革命軍と戦った同盟軍は技術、装備において優劣があったわけではなく、連戦連勝のナポレオン軍こそかえって初めは素足で行軍したほどみじめであったが、しかし同盟諸国と革命フランスとの間には社会的組織に大差があった。この史例が示すように1917年の共産革命は、社会組織に相違をつけたばかりか、ひろく社会階級分裂の連鎖反応を引き起こしたのである。核分裂による原爆が生まれる28年前に既に「社会学的原爆」が近代戦をほうむりさっていたのである。
 共産革命は国境という縦の壁をやぶって国家団結の崩壊をもたらし、横につながる社会層の形成を促して、各国民とも第二次大戦では両陣営に分かれて参戦することになった。(=各国で共産主義思想に共鳴するグループが組織化し、国内が分裂)
 しかし、核兵器がアメリカの独占を許さなかったように、社会学的原爆もソヴィエトの独占を許さず、しかも分裂がソヴィエト自らを襲った。(=デモクラシーの波及) (123-124頁)

 

・「戦争に勝つ公算と、戦後に生き残る公算ははたして一致し得るものであろうか
 文明が進み、諸工業が発達し、資源にめぐまれ、科学技術の水準が高ければ新しい機械器具などぞくぞく発明され、大量破壊兵器を山とつみかさねて、世界の支配権を争い、勝利のチャンスをつかむことができるであろう。しかし今日の核兵器、その他最新殺人兵器は量の多少はともかくとして、一方だけがまったく無傷ですむとは夢想もできないのである。
 それとともに8,9世紀のサラセン、13,4世紀のモンゴリアを引証するまでもなく、ただ武力や暴力だけで征服の快感を満足させても、権勢は一朝にして消え去ることは明白である。(140頁)

素朴ながら健康な、一般民衆の感覚からでた疑問の方がよほど将来問題の核心に触れている(141頁)

 

・結論
 われわれは絶え間ない緊張とか恐怖にされされるよりも、ひと思いにくぎりをつけようとしてとかく不幸の道に飛びこみやすい。戦争の口火を切ったり、大事件を引き起こす動力は感情であって愛憎、恐怖、熱望などの底にいつも流れている焦燥の激情は点火の働きをするものである。こういう現実は要するに、国際社会から気短かに大小の戦争を一挙に追放しようとしても簡単にゆかないことを裏書きしている。・・・近代科学の粋をあつめた新兵器による殺しあいの矛盾はより間近に迫ってきている。(203頁)

 

以上、見てきた通り、まさに冷戦がエスカレーションしていく初期段階において書かれたことから、
原子力戦争への危機感が如実に表現されている。しかし、その節々で述べられている人間性(ヒューマニティ)への着目は、鋭い。冷戦が終焉して20年がたったけれど、冷戦初期の危機感というのは、忘れずにいたい。

  

■さて、戦争と政治をめぐる研究は安全保障研究として発展してきているが、
日本語で導入に適した3冊をむりやり選んでみる

 

猪口邦子『戦争と平和』東京大学出版会、1989年。
古代から現代までの戦争について分析された古典。
アメリカやイギリスの戦史研究も反映されていて、導入にはもってこい。

 

 

防衛大学校安全保障学研究会編『新訂第4版 安全保障学入門』亜紀書房、2009年。
安全保障を考える上での基本書。概念の整理だけでなくシビリアンコントロールや、
テロ対策、人間の安全保障など最近のトピックまでカバーされていて便利。

 

 

江畑謙介『日本に足りない軍事力』青春出版社、2008年。
軍事の知識は難しいけれど、やはり江畑さんの本はバランスが取れていると思う。
昨年亡くなられたのが残念。

 

 

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