上杉勇司, 青井千由紀 編(2008)『国家建設における民軍関係―破綻国家再建の理論と実践をつなぐ』



民軍関係に携わってきた第一線の実務家と研究者が揃って執筆した重要な一冊。

ここでは中満泉「人道支援組織の視点から見た民軍関係の課題」に注目して、印象的な記述(一部引用、一部要約)は以下のとおり。
----------------------------------
ボスニアの民軍関係における困難は、市民の保護の観点から安全地帯決議が採択され、その執行をめぐり実行力を持たない国連が、次第にNATOの空爆への依存度を増すようになってからである。近接航空支援とNATOの空軍力行使の混乱。See.明石康

【ルワンダ人道危機】
ルワンダ国内の安全地域でのキャンプ設営や援助配布などに合意がなかった。文民の側に国内避難民問題に関する統一的な主導機関が存在しないという体制上の欠陥があった。

★【サービス・パッケージという民軍連携】
 ザイール、特に短期間の難民流出では史上最高を記録したゴマ周辺での緊急人道危機に対処した民軍協力は特筆に値する。後に「サービス・パッケージ」として整備されるこの民軍協力は、大規模危機にて文民組織の能力が明らかに欠如する分野で、各国からサービスや物資、支援要員、資金などを丸抱え・自己完結型で提供してもらう、という緊急援助ツールである。ゴマの人道危機では、軍隊が機動力を発揮すると考えられた空港の管理運営、後方支援基地業務、道路設備と道路の治安維持、難民キャンプ設営、調理用家庭燃料の配給、衛星設備、給水管理、空輸基地管理の8分野の支援が各国に要請された。当初の出足には時間がかかったが、軍事組織の巨大な兵站・工兵能力によって、キャンプ内の人道状況は一旦沈静化に向かった。米仏両軍が撤収した後を引き継いで、日本の自衛隊も医療・給水活動などに従事した。ルワンダ人道危機での経験をもとに、現在、UNHCRでは20分野にサービス・パッケージを保持している。

・民軍協力によって援助の分野は対処されたが、難民キャンプ内の治安問題に関して軍隊の協力は得られなかった。もっとも危険な環境での人道活動は、文民に任されるという印象が、人道支援組織の間で共有された。

【コソボにおける民軍の競合】
コソボ危機において初めて、文民組織とNATOが人道支援で競合関係に陥った。大規模な緊急人道危機では、軍隊が主導権を握るべきという主張が現れたのである。これには複合的な要因があった。初期のUNHCRの対応ミスによる文民組織への信頼低下、マケドニア・アルバニア両政府がNATOやEUとの関係強化という自国の政治的利益のためにNATOの主導を望み、NATOの側も、コソボ介入が地上部隊投入となった場合に重要な後方基地となるマケドニアとの関係を強化する政治的意図もあった。また、メディアの注目を浴びたコソボ危機において、自国の軍隊による目に見える援助をおこないたいというドナー側の意図も見え隠れした。NATOに支援を要請した緒方HCRとソラナNATO事務総長の書簡交換によってUNHCRに主導権があることが確認されたものの、現場ではNATOの圧倒的な機動力と積極的に直接支援に関わるアプローチの前で、UNHCRのリーダーシップに疑問を呈する声が効かれた。軍隊は後方支援ではなく、コソボにおいて前面に出ることになった。

・NATOの直接支援が前面に押し出されドナー各国の特色が強調される経口があった。支援内容に格差が出たり、ドナー各国間での不必要な競争が起こった。自国の顔を見せる援助に関しては協議・調整がなかった。

【コソボにおいて軍事組織の得意分野が明らかになった】
軍事組織に拠る人道活動は、
1.人道機関の活動を保証し、市民の保護を達成するために必要な治安回復
2.危険地域での物資の輸送や、倉庫の管理といった人道支援組織の側面支援
3.難民・IDPへの直接支援配布
という三つのうち、明らかに軍事組織が多大な貢献をしたのは1と2であって、3はむしろ問題の方が大きかった。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://okneige.com/weblog/mt-tb.cgi/278

コメントする

このブログ記事について

このページは、okneigeが2013年4月27日 11:10に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「フィリップ・ゴーレイヴィッチ(2003) 『ジェノサイドの丘―ルワンダ虐殺の隠された真実』」です。

次のブログ記事は「松本 仁一(2008)『カラシニコフ I』」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。