2009年11月アーカイブ

 グローバル・コンパクトは、企業にとってはCSR活動の一環として理解される。企業のCSRは株価対策(IR)、広報(PR)に留まらず、商取引の現場においても重要になってきており、CSRの対応が売上や利益といった企業存続にもダイレクトに影響を及ぼすようになってきた。グローバル・コンパクトは企業にとって正統性が高く、影響力のある評価基準となっている。NIKEなど製造業における不当賃金労働の問題や、石油資源関連企業(商社含む)にとっての環境負荷など、経営にダイレクトのインパクトのある課題を解決する意思を見せるためにも、グローバル・コンパクト加盟は重要であろう。  しかし課題として、グローバル・コンパクトが国連機関の組織目標を反映した目標となっており、人権・労働基準・環境・腐敗防止といったテーマがメインになっているが、企業の視点からは、人権や労働基準の各項目に重複が感じられ、一般的なCSRの重視する項目とは必ずしも合致していない点にあると考えられる。日本総研の『2008年度版CSR経営動向調査』において、民間企業がCSRで圧倒的に重視するのは環境である。環境の後は、生物多様性、内部通報制度、育児休業制度、社会的課題解決に資するビジネス等と続く。こうした企業側の視点がグローバル・コンパクトには欠けており、国連側の視点で作られた項目が多く、CSRの現状に沿わないという状況は否定できない。  実際、CSRに熱心な企業であっても、グローバル・コンパクトに加盟していない事例は珍しくない。例えば、ファーストリテイリングはユニクロ店頭においてユニクロ商品の回収を行っており、そこで回収された衣料や靴がUNHCRを通じて難民支援の現場で利用されるというリユース活動を行っている。このインパクトは非常に大きいものの、2009年10月現在、ファーストリテイリング社はグローバル・コンパクトに加盟していない。  また、企業にとっては手続き的な煩雑さも加盟を手控える一因となる。CSRが基本的にコスト部門である現実を考えると(日本でいわゆるCSR効果で「食えている」会社は皆無に近いと予想される)、CSRの実態に沿わないグローバル・コンパクト専用の手続きや報告の負荷が高まると、参加の意義は薄くなってしまうだろう。

人権理事会

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 人権理事会は、国連の人権問題への対処能力強化のため、従来の委員会に替えて、総会下部機関として看板を掛け替えられ、2006年に設置された。この背景には、90年代以降の地域紛争の激化、そして、ソマリアや旧ユーゴ、ルワンダなどの悲劇に対して実効的な行動を国連が取れなかったことの反省があげられる。  その有効性としては、UPRによる定期的な人権状況の審査と人権促進のための相互協力を軸とした制度強化が図られている。また、理事会への格上げにより、国際社会への影響力の強化が期待されている。  一方、限界として、第一に理事国数の配分という構造的な問題がある。アジア・アフリカ諸国が過半数を占める途上国優位の議席配分は、先進国の積極的な人権理事会のコミットを妨げるものである。すなわち、UPRにおいて理事国は任期中に優先的に人権状況を審査されるが、先進国(特にP5)はその力と規模の大きさに比例して、国内および国外への人権侵害の可能性が大きくなるリスクを孕んでいる。典型的なのは人道的介入における付帯的被害の事例である。世界の警官として人道危機に対して血と汗を流す大国にとって、いちいち付帯的被害を指摘されて、大目標としての人権侵害との戦いに影響が出ることは避けたいであろう。また中国やロシアのように、国内に人権問題を抱える安保理常任理事国にとっては、内政干渉につながるような組織は到底、認められない。第二に、国連は、加盟国政府の主権国家内の事象に対して、その政府が支配的であればあるほど、実効的な批判や非難を投げかけにくくなるという限界がある。PKOの展開ですら、同意国政府の合意が必要である。東ティモール危機の際に、インドネシアは当初、PKO展開に反対した。また、ヒューマンライツウォッチがスリランカ政府に対して非難声明を出しているように、LTTEの軍事制圧により人権の迫害のおそれがある収容所内の無期限拘束、および人道法違反の疑いが指摘されているものの、これまでPKO展開が実現できなかったスリランカを、まずは国連の議論の土俵に引きずり出すために、国連にとっての実利的な妥協が、人権保護を完遂できないことは容易にありうる。  しかし、人権理事会の限界を指摘するのはむしろたやすい。国連の中核的組織である安全保障理事会ですら、実効的に機能をし始めたのは冷戦の終焉を待つまで40年以上の年月が必要であった。むしろ、90年代におこった地域紛争の悲劇は、国連で一致した合意が得られないために、事実上、紛争が黙殺されたことであった。人権問題のアジェンダセッティングはこれまでマスメディアやNGOが担ってきた役割が大きい。人権問題はNGOだからこそ実効的なアドボカシーができるという側面は強いが、それが皮肉にも正統性を低いままに留めておくことになったうらみがある。正統性の高い人権理事会のアジェンダセッティング機能は、それが限定的であるとは言え、より一層の期待ができると考える。

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