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平和構築の実務家として働くにあたって、何度も読み返してしまう一冊。絶望的な状況において、いかに難民に寄り添い、人間の安全保障を達成するか。90年代の内戦に国連がどのように立ち向かったか、否、向き合うことなく空論を重ねてきたかを跡付ける貴重な回顧録であるのはもちろん、国際機関で働く実務家にとっても現場での姿勢を教えてくれる歴史的な一冊。

ユーゴ、クルド、アフガニスタンと全ての事例が、人道援助で働く人々には胸に刺さる内容ばかりであるものの、2013年現在においても、そのジレンマが続いているという意味では、やはり大湖地域であろうか。「第3章 アフリカ大湖地域における危機」の中から興味深かった内容(一部要約)は以下のとおり。
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ジェノサイド後、(虐殺を主導した側となった)フツ系住民は大部分が周辺諸国に逃れた。最初の集団は1994年4月末に国境を越えてタンザニアに流入した。
難民の多くはキブンゴ州のフツ系農民であったが、彼らは殺戮から逃れてきたのではなく、かつてルワンダ東部で起きたツチ系住民の殺害に関与していたため、ルワンダ愛国戦線(RPF)部隊が到着する前に脱出してきたのである。

フランスはすでにルワンダに深く関わっており、フツ族政権に対する肩入れは強かった。1994年6月、トルコ石作戦でフランス軍が戻ってきたことに関して、のちに東アフリカ研究者のジェラール・プルニエは、フランスがルワンダにおける影響力を維持したいと強く望んだためという興味深い指摘をしている。

【難民キャンプの軍事化】
ルワンダからザイールに越境した兵士と民兵は総計五〇〇〇〇人と推定された。旧ルワンダ軍(FAR)兵士、民兵組織など。
1994年8月、緒方氏は国連の介入を要請した。提案内容は、1.FAR兵士の完全武装解除。すべての武器や装備を回収し、国境から遠く離れた安全な場所に保管する、2.文民の指導者を分離し、中立化させる、3.犯罪者に対処するシステムを確立する、4.警察などの配置によって難民キャンプ内の法と秩序を守る。

そもそも治安維持装置の実施は原則として、難民受け入れ国の責任である。UNHCRは難民キャンプの警護を任されたタンザニアの警察に装備と訓練を与えた。警察がキャンプに駐留すると、効果はてきめんに表れた。

ザイールの場合は、政府に治安を維持する能力がなかった。そもそも、ザイールのモブツ大統領や政府高官は、ルワンダ前政権と密接な関係をもっていた。ザイールの首都キンシャサはゴマから1600kmも離れており、州政府は無力であった。兵士や民兵からなる難民の数は膨大であった。

ルワンダ難民キャンプにおいて、難民のなかに紛れ込んだ前政権の政治・軍事指導者たちは、かつてルワンダに存在した管理機構を再現させていた。彼らは社会委員会という連絡組織を設置し、難民向け物資の日々の配布といった内部調整にあたっていた。第二の管理機構は各キャンプに設立された治安委員会。第三に、資金調達システム。難民はみな旧体制の政府関係者たちに寄付金を支払う義務があり、それは彼らがいつかルワンダ新政権に反撃をしかけ、勝利して本国に帰るという最終目的のためであった。

間接的に、あるいは必ずしも意図されずに、人道援助書記官やNGOもまた、こうした管理機構に重要な後ろ盾を提供していた。通常、難民自身が日常の雑事を引受けるのは歓迎されるし、望ましい。しかし、ザイールのルワンダ難民キャンプという政治色の濃い状況では、このような管理機構は指導者の支配を一元化し、ともに武力帰還して政権を奪還するという、彼らの究極の目標の達成をいっそう強化した。

【裏目に出たカーター元大統領の仲介】p.252-
ルワンダとブルンジをめぐる紛争を終結させる方策を求めて、カーター元大統領はアフリカの指導者との討議を決断し、カイロで会議が開催された。当事国の一国の要請から、国連はこの会議から排除された。
このイニシアティブは現実には難民の帰還にマイナスの影響を与える結果となった。
カイロ宣言はすべての行動計画を一般的な善意の表明に置き替えてしまった。カイロ会議の介入がなかったら、モブツ大統領が難民帰還の完了期日を無視したり、大湖地域におけるパワーゲームの人質に難民を利用しつづけるのは、より困難であったかもしれない。

【虐殺の実態】p.284-
1996年10月以降行われた殺戮および残虐行為には、ザイール国軍(FAZ)と傭兵、旧ルワンダ政府軍(FAR)と難民キャンプ出身の民兵、そしてカビラが率いるAFDLとルワンダ政府軍(RPA)という、三つの集団が関わっていた。AFDL部隊および同盟を組むRPAは、民間人や難民に対し大規模な殺戮を行った。

【アメリカの関与】
アメリカはフツ系難民が多数を占めるザイールの難民キャンプに人道援助を行う一方、RPAと南キヴのツチ系バニャムレンゲの軍事訓練や軍事支援にも手を貸していた。ルワンダとザイールでは米軍による軍事訓練がRPAとAFDLの軍事能力を高めていると見られていた。人道的な地雷除去と訓練プログラムを隠れ蓑に、より積極的な軍事支援が行われていたと考えられていた。

9月9日、安保理に活動の一時停止の決断を発表。安保理はコンゴ民に圧力をかけた。しかし、カビラの態度に変化はなく、10月、UNHCRは難民とともに活動していた他の国際人道援助機関やNGOとともに、ゴマを離れるよう命令された。

【強制帰還】p.292-
ルワンダのけるUNHCRの主な活動は、難民の帰還を支援し、確実に再定住させること。1994年から99年までの6年間に、300万人以上のルワンダ難民が亡命先から帰国した。1959年以降、異郷に暮らしていたツチ系ルワンダ人は、RPFが勝利をおさめた後、1994年に大挙して自主的に帰還した。総数で80万人を超えた彼らはいわば旧難民であった。
他方、新難民は、1994年のジェノサイドの最中に逃げ出した主にフツ続であった。彼らは1996年から97年にかけて、ザイールとタンザニアから強制的に大量送還された。UNHCRは帰還プロセスを統括する政府諸機関に、実務面での支援を提供した。
難民が大挙して突然帰還したことで、ルワンダ社会には深刻な不安が生じた。法定外で人々による中傷や弾劾に基づく処刑が行われることもあった。ジェノサイドの生存者や旧難民の帰還者を殺害するなど、襲撃行為が著しく増加した。

【結論】p.316-
ジェノサイドに対して、国連も主要各国もなんら戦略的な対応をとらなかったため、ルワンダ政府と国民は国際社会に強い不信の念を抱くことになった。難民保護を任務とする国連機関であるUNHCRにとって、ジェノサイドと、200万人を超えるルワンダからの大規模な国外脱出への対応は、大きな試練となった。

旧ルワンダ政府軍(FAR)が難民に紛れ込んだキヴ・キャンプの運営について、UNHCRは旧軍兵士を武装解除し、キャンプに法と秩序をもとらすために、国際社会に対して警察隊の派遣を要請した。

UNHCRは国際的な監視のもとに、訓練を受けたザイール保安隊の配置を実施しなければならなかった。

1500人のザイール保安対はキャンプにある程度の秩序をもたらしたが、キャンプの軍事化という問題自体を克服するものでは決してなかった。キャンプの存在はルワンダに対する安全保障上の脅威であり、地元部族間の緊張をあおるものであった。

国づくりの支援を促進する過程で、国際システムにはいくつかの欠陥があることが明白になった。

第一に、難民と難民受け入れ国を武装勢力から守るための介入を行う仕組みが欠如していた。UNHCRは事務総長とDPKOに対して、深刻な治安上の脅威に対処できる手段を考案するよう求めた。しかし、結局、UNHCRはザイール保安隊を募集すると言う、限定的かつ暫定的な手段をとらざるを得なかった。

第二に、緊急人道援助と長期的な開発援助を結び付ける枠組みもなかった。ルワンダでは、UNHCRはUNDPとともに、より組織的な連携を構築するために合同チームを結成した。しかしながら、われわれはこの二つの活動の間のギャップを効果的に埋めることができなかった。

確かに、アフリカ大湖地域の根本問題の一つは、活動を支えるさまざまな資源の不足であったが、政府が脆弱で行政能力に限界があることも開発事業の導入を阻むものであった。さらに、部族間の抗争が激化したため、各国政府は権力の分配や民主的な制度づくりに着手することがd形無かった。復興には共同体の和解が必要であるとルワンダ政府が認識するのには、長い時間を要した。



いつもは読み飛ばす朝日新聞の求人広告欄、その最上段に連載されていたときから切り抜きして読んでました。ちょうど就職活動の頃だったこともあり、仕事への向き合い方について、自分の基礎を形づくった一冊です。新卒で社会人になる後輩に何度かプレゼントしたこともあり、20代前半で読んでおきたい本です。

▼柳井正
・自分の評価は、他人に任せよ
本当に仕事ができる人は、自分に対する評価が非常に低い
あれもできない、これもできないと自己に厳しい
それは到達する目標が見えていて、届かない距離が分かるから
成長しない人は、自分で自分を高く評価している。
自分の評価は、他人にしかできないという事実に早く気付かなくては
・誇りを持てない仕事は淘汰される
仕事をするなら、自分の行きつく所まで行け
自分の力をとことん生かし尽してこそ分かってくること、できるようになることが非常に多い
誇りを持てる目標を自分なりに立てて、懸命に働く


▼安藤忠雄
勇気ある仕事を見よ
自分を奮い立たせる先人の仕事を糧に
・仕事をして生きて行くというのは緊張感を持続させること。ひとついい仕事をすると、次の仕事につながっていきますが、ここで安心せず、転ばず、緊張感を保ち続けられるかどうかが問われます。非常に難しいことです。
精神を萎えさせないためには、常に勇気を持って挑戦した人たちの仕事を見ることです。
・人間はこんなにもすごい。自分はどうだろうか。常に勇気ある行動が人の心を打つことを忘れてはならない。

▼佐々木毅
・分からないこと、の深さ
・自分を信じて目を凝らす
 うまく言えないけれど気になること、今ここで形にできないけれど志していること、そういう個人の思いを自分だけで考え抜く習慣が、現代の日本人には必要だと思います。
 おそらく昔から、優れたリーダーは人の目に見えない問題や事実が見えていたのだと思います。前例がいないことを提案し、実効してきたのはそういう人々でした。
 傲慢にならず、卑屈にならず、情緒に流されず、自分を耕し続けなければ

▼稲盛和夫
・強い願望は実現する
言い訳の材料があるなら挑戦などできない。
成就させるのだという強い燃えるような意志
言い訳は決してしない覚悟と準備で、新しい仕事に挑むべき
人間は信じていないことのもののために努力することはできない
・人生の結果=考え方×熱意×能力
熱意も能力も人それぞれだが、考え方はマイナス100点からプラス100点までの幅がある。嫉妬や恨み、妬みといったマイナスの感情にとらわれている人間は、そこに能力と熱意が掛け合わされると、とんでおない負の方向に大きなエネルギーを向けてしまう


233頁
好きこそものの上手なれ。得意なことは、人の3倍やらないとダメだ。それだけやれば、何かが見えてくる。人の2倍努力しても、それではまだ足りない。3倍努力しないと、見えてこない景色というものがある。2倍がんばったぐらいだと出る杭は打たれるで、叩かれたり、邪魔されたりすることもあるが、3倍努力して出過ぎた杭になると、もう打たれない。マラソンで言えば独走状態。

243頁
一途一心。一つのことに、ひたむきに取り組む。ひたむきに、ひたすらに。周りのことも気にならないくらい、無心になって向き合う。毎日、こつこつと努力を積み重ねる。そうやって一途に一心に自分の信じた道を突き進んでいると、いつもの自分が持っている以上の力が湧いてきたり、普段ならとてもできないようなことができたりすることがある。ひたむきに努力した者だけが手にすることができる不思議な力。


原著:Romeo Dallaire(2004), Shake Hands with the Devil: The Failure of Humanity in Rwanda


476頁
アルーシャ和平合意が調印されたすぐに、ルワンダに派遣される憲兵隊や文民警察の存在を効果的なものにするために、最初に政治的・文化的な実際的知識を取得すること。
UNAMIRに、それまでの交戦当事者の意図や野心や目的について、信頼性ある情報を提供すること。
強硬派の裏をかいたり、RPFがいくつかタイミングよく譲歩するように仕向けたりするための、政治的・外交的な強制力を派遣団に与えること。
派遣団に対して適切な行政的支援並びに補給支援を行うこと。
もっと多くのよく訓練され、十分な装備を整えた大隊を派遣すること。
マンデートをもっと柔軟かつ強制的に適用すること。
こういった要素全てを成し遂げるために、ほんの一億米ドルほど予算を増額すること。

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