★★★★☆
世銀(世界銀行)の副総裁だった日本人が語る、
開発融資の実際。
もともと経済学の教授だった筆者は、開発経済の専門家ではないというが、
夫がIMFに勤務していたというので、まったく偶然というわけではないだろう。
世銀と言えば、今も昔も高学歴、最近では、アイビーリーグの博士号が、
まずは入行条件というような国際機関である。
そんな彼女だが、サバティカルにかかってきた一本の電話が人生を変える。
かつての教え子で世銀に入った元学生に、どこか途上国で行くなら、
と聞いてエジプトに行った筆者。
そこで出会った病体の母に抱きしめられたナディアという少女。
母親が疲れきって、その手からナディアを渡されて彼女は愕然とする。
「羽毛のように軽い」
というのが、彼女の印象であった。
そして、ナディアは筆者の腕の中で息を引き取ることになる。
これが、筆者を貧困撲滅へと駆り立てる。
そして、各国の指導者に開発融資を行うと当時に、指導体制に注文をつけていく
日本で開発援助というと、どこか慈善事業的な響きがする。
ODAとか、援助は有償か無償(グラント)かといった話題だ。
しかし、日本での開発についての議論は、本来、周辺的な話題である。
植民地支配の歴史があるイギリスや、同じく冷戦期のマーシャルプラン以降、
世界の復興や開発に注力してきた伝統のあるアメリカでは、
まずはガバナンス、そして現地のニーズがあって、貧困をもたらす要因の理解、
そして、必要なのはカネか、技術か、インフラ整備か、法の支配かなどがまずは議論となる。
どの程度の資金を融資すべきかというのは、最後に来る話である。
その意味で、世銀副総裁として、各国のリーダーと折衝し、
よいリーダーによって開発が進み、悪いリーダーによって人々は貧困の罠にはまりつづける、
という現実を見てきた筆者だからこそ書ける文章だと思った。
いわゆる開発援助を志す人にもぜひお勧めしたい一冊です。
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