地雷など兵器の利用制限は戦力との兼ね合いだけでなく、産軍複合体が浸透した経済においては産業界にも目配せをせざるを得ない問題であるため、従来の政府間交渉では非常に解決が難しい。それは国連軍縮局において、核廃絶が目標達成不可能な「儀式的活動」として続けられてきた点においても顕著であった。
 NGOの活動も、ただの抗議に留まらず、専門性を特化して、かつ、パブリックリレーションズに長けた活動であれば有効である。まさに地雷廃止においては、対人地雷の問題をイデオロギー的な論争にせず、非人道性、無差別性を追求することによって、しかも、動きの鈍い政府の先手を打って世論を動かし得たのが成功のポイントであった。決定的だったのは、ICBLのアジェンダセッティングについてカナダ政府が支持し、連携できたことだった。カナダはミドルパワー外交として平和への高い貢献を誇りとする国であり、彼らのスタンスと、非人道的な対人地雷廃止という目的がうまく合致できた好例と言えるだろう。
 それでは、対人地雷廃止を巡る政治は果たしてパワーポリティクスとしての古典的リアリズムから人間の安全保障への転換と素直に位置付けられるだろうか。残念ながら、これは地雷という兵器の特殊性に拠るところが大きいと思う。米英仏など大国が対人地雷廃止活動に核軍縮ほど消極的でなかったのは、軍事的な観点からも対人地雷廃止が大国にとって望ましいという点は否定できない。現代の大国の軍事戦略においては、出口戦略を明確にし、できるだけ兵士の被害が少ない戦術が求められる。必要な兵力はまず精密誘導装置を搭載したミサイルと、それを運ぶ爆撃機から検討が進み、世論の反発が高い地上軍の展開はできるだけ後回しにされてきた。しかし、地上軍を派遣しなければ解決できない戦争や地域紛争も出てきた。たとえば冷戦後の国連の平和活動においても、UNTACが展開されたカンボジアはベトナム戦争の地雷原が残る中で展開された。オタワ・プロセスは90年代だったが、現代の地域紛争でも地雷は使われており、典型的なのがアフガニスタンである。ISAFが保有する銃弾には強い装甲車も、下からの地雷の爆発ではひとたまりも無い。このように大国が地雷を利用する意味が薄れてきており、むしろ地雷廃止により戦略的に有利になれる状況が背景にあったことからも、単純に地雷廃止を軍縮の好例として手放しで喜ぶわけにはいかない。
しかし、それはNGOのアジェンダ設定を否定するものでは無い。むしろ、そのような大国政治が動きやすい環境があってさえ、動きの鈍い政府間政治を打破するきっかけとして、高い専門性を有したNGOが素早い動きを見せたことは、大きな利点であったと言えよう。

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このページは、okneigeが2009年12月 6日 09:33に書いたブログ記事です。

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